2022年10月1日
8月10日に無事カンレキを迎え、9月末をもって新卒から35年間勤め上げたIT企業を、円満に定年退職致しました!!
いよいよ、人生のセカンド・ステージの幕開けです!!さてさて、どのような展開をしますことやら??(笑)
乞うご期待っ!!
※自宅スタジオにて...
2002年〜2021年 追記
すっとばし過ぎです。(笑)
この間、仕事は開発者からプロジェクト・マネージャーへと変わり(近年、アラ還に至ってわ、元の「雑用係」に逆戻り(大笑))、音楽の制作環境もアナログからデジタルへと大きく変貌を遂げました。しっかしながら!!ともべの生き方自体わ「な〜んも変わんない」(笑)。「もはや還暦近い」いいヲヤヂが、30代の頃からほっとんど変わってないのだから、いいかげん自分でも呆れます。
相変わらず、日々のITエンジニアとしての本業の傍らで、プライベート・スタジオでの音楽制作に励み、年に1回ぐらいはライヴ、の生活。でもやっぱ、「継続は力なり」だと、自分でも思うのです。あと、ソーシャル・メディアの進歩によって、ミュージシャンとしてもコミュニケーションの方法は大きく変わったかな??
改めまして、「シンセサイザーの友部」を、どうかよろしくお願いいたしま〜す♪
ロック系:
エニド、プロコルハルム、ルネッサンス、ムーディー・ブルース、EL&P、UK、ピンクフロイド、コロシアム、コロシアムU、グリーンスレイド、イエス、ジェネシス、キング・クリムゾン、エイジア、カーヴド・エア、バークレー・ジェームス・ハーヴェスト、イ・プー、ジェントル・ジャイアント、P.F.M.、キャメル、マイク・オールドフィールド、アラン・パーソンズ・プロジェクト、フォーカス、トレース、ジェスロ・タル、フランキー・ミラー、ロビン・トロワー、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、ロバート・パーマー、スカイ、.....んっ、もう他にもいっぱい!!!
ポップス系:
バリー・マニロウ、エリック・カルメン、ギルバート・オサリバン、カーペンターズ、オリビア・ニュートン・ジョン、ABBA、他
ジャズ・フュージョン系:
マハビシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥー・フォーエバー、ブラッフォード、ブランド]、デオダート、パット・メセニー・グループ、ウェザー・リポート、ビル・エバンス・トリオ、ケニー・ドリュー・トリオ、他
シンセサイザー系:
冨田 勲、ヴァンゲリス、ジャン・ミッシェル・ジャール、タンジェリン・ドリーム、他
イージーリスニング系:
スティーヴン・シュラックス、スウィート・ピープル、デビッド・フォスター、アンドレ・ギャニオン、倉本 裕基、他
クラシック系:
マーラー、ブルックナー、ワーグナー、他
Jポップ系:
いきものがかり、ユーミン、大瀧詠一、ZARD、TUBE、小野リサ、他
好きなアーティスト
星座: 獅子座 (百獣の王!!がぉ〜!!)
血液型: A型 (よく「ゼッタイB型だっ!!」ってヒトに言われるけど....あれは間違い。w
好きな食べ物: ひたすら生ビール.....あと、なにがなんでも、お寿司っ!!(笑)。
苦手な食べ物: 野菜料理全般。
尊敬する人物: アインシュタイン
「常識とは、16才までに身に付けた、偏見のコレクションのことをいう」 (同氏)
座右の銘: 「前例がないなら、やってみよう。」
大嫌いなもの: 「正義の皮を被った、矛盾」
趣味: パンツを頭から被り、奇声を発しながら、全裸で深夜の町を徘徊する。(うぞ)
よく現れる場所: 休日の「いわゆる西新宿」界隈。(でした。今や、かつてのブート街も、どこへやら...)
大好きな場所: もち、北海道っ!! (^o^)
プロフィール
2001年4月
某外資系ITベンダーで、主にWindowsベースのアプリケーション開発に従事する一方、都内某所プライベート・スタジオを中心にしたレコーディング活動と、ライヴでの演奏活動を精力的に行い、現在に至る。
学生時代に一度は燃え尽きてしまった「シンセサイザー奏者・友部 豊」が、それから14年を経た今、こうして現役であるという事実に、私自身驚きを隠し得ません。これも一重に、私と関わって下さった多くの方々の、暖かいご理解とお力添えの賜物以外の、何物でもありません。この場を借りまして、そういった多くの方々に、心より深く感謝を申し上げます。21世紀も、「シンセサイザーの友部」を、末永くよろしくお願い申し上げます。 m(_
_)m
アフターセブン・コンサート(1998年)
1997年10月
某ITベンダー主催「アフターセブン・コンサート」に、初出演する。これ以降、同コンサートの常連となる。
1995年〜
このあたりからのコンピュータのPC化は著しく、また、音楽の制作環境のコンピュータ化も著しかった。現在に至っては、「会社で本業としてやっていることも、自宅で音楽活動としてやっていることも、やってることはほとんど変わんない(笑)」とゆー、ほとんど信じられない事態が発生している(わはは...)。我々「ITエンジニア兼ミュージシャン」にとっては、まぁいい時代ではありますが....。
1994年12月
東京は代々木にて、ソロとしてライヴに出演し、約8年ぶりにライヴ活動への復帰を果たす。これを皮切りに、継続的に現在までライヴ活動は続いている。
1989年〜1994年
この間のスタジオ機材の充実は著しく、給料をそーと投げ打ってスタジオの機材に充てるほど。挙句の果ては当時でも100万円近くはした、16トラックのレコーディング・マシンまで導入する始末(笑)。
2008年10月
インディーズ・レーベルより2枚目のソロ・アルバム「コンチェルト」をリリース。
2003年2月
インディーズ・レーベルより初のソロ・アルバム「シンフォニア」をリリース。
1987年4月
某外資系ITベンダーに就職。業務多忙にて音楽活動が一時頓挫を来たす。...と、ゆーか、ハッキリ言って、もう引退するつもりでしたw。「清く正しい真人間の道」を歩もうと思って.......ところがどっこい、天はそーゆーワタシを許さなかったようで(笑)。時が経つにつれて悪い虫は自然と疼いてくるもの。いつの間にやら作曲を始め、給料で楽器を購入し、自宅をスタジオと化してレコーディングを開始し.....気が付いたらすっかり「元のモクアミ状態」......w。
大学キャンパスにて.....
1987年3月
ラスト・ライヴにおいて、自分の音楽の集大成でもある約20分におよぶ大作組曲の演奏を果たし、ネクラシンフォニーオーケストラ正式解散。「音楽的にやるべきことは全てやった」との認識に到る。
同時に大学も単位ギリギリで何とか卒業している(笑)。
友部 豊、完全に燃え尽きる。......が???
1986年4月
上述のやうな学生生活のツケが廻って、留年を余儀なくされる。留年が決定した時の言葉、「オレはまだ音楽的にやり残したことがあるから、卒業なんかできない!!」......何を考えているのやら。(笑)
1986年3月
壮絶なラスト・ライヴをもって、ネクラオールスターズ正式解散。約4年間の活動にピリオドが打たれる。
ネクラオールスターズ(1984年)
1984年4月
シンセサイザーを、元バッハ・リヴォリューションの神尾 明朗(かみお あきろう)氏に師事。この時期より、シンセサイザーの理論面・技術面を、神尾氏から徹底的に叩き込まれる。
ネクラシンフォニーオーケストラ(1984年)
1984年1月
シンセサイザー演奏のソロ・プロジェクト、「ネクラシンフォニーオーケストラ」を結成。ネクラオールスターズの別動隊として活動を開始する。
アンサンブルをシンセサイザーのみで構成し、ロックの枠組みに捕らわれない交響楽的なサウンドは、多くの支持を得る。
ネクラオールスターズ(1983年)
ネクラオールスターズ(1983年)
1982年5月
プログレッシブ・ロック・バンド 「ネクラオールスターズ」を結成。多数のシンセサイザー群やメロトロンをフューチャーした壮大なサウンドは、明らかに「ロックバンドの領域」を超越していた。他の才能あるメンバーにも恵まれ、4年間の活動で圧倒的な支持を得る。またこの活動期間、数多くの輝かしいライヴ・パフォーマンスを残している。
当時から「古色蒼然」と言われていたプログレッシブ・ロックに、新しい生命と可能性吹き込んだと同時に、「1つのバンドにシンセサイザー奏者が2人」という「ダブル・シンセサイザー編成」を提唱・実践した、ある意味で「早すぎた」バンドであった。
1982年4月
立教大学文学部英米文学科に入学。入学式の当日に、軽音楽系サークル「オーバーオール・ミュージック」に入部している。「大学に入ったら、音楽サークルがあって、そこで思う存分バンド活動ができる.....」これしか頭の中になかったのである(笑)。その後は推してしかるべし、大学生活終始一貫して授業はロクすっぽ出ず、バンド活動に全エネルギーを集中する。当然の結果として、卒業までに5年を要するハメになる(笑)。
1981年
高校3年までバンド活動にウツツを抜かしていた当然の結果として、浪人を余儀なくされる。ところがこの浪人生、ロクに予備校も行かずに連日コンビニの徹夜バイトに明け暮れる。楽器が欲しかったのである(笑)。苦労の甲斐あって(???)、この年2台目のキーボード、夢にまで見たあこがれの「メロトロン400S」(イギリス製!!)を購入している。
1979年
都立井草高校(爆笑問題の田中氏が、2学年下にいたハズなんですが...残念ながら面識なし(笑))在学中に、音楽の創作・演奏に携わる一大決心をする。さっそく初めてのキーボードを購入(中古のハモンド・オルガンだった...)し、ロックバンドを組んで活動を開始する。当然のことながら、当時あまりにもヘタクソな演奏は、ライブに「観客2人」とゆー笑えるエピソードもある。
196?年〜1976年
転勤族の家庭に生まれた哀しさか、東京、名古屋、仙台、広島を転々と移り住む。ただ、非常に多感な少年期〜思春期を大自然の中で生活したインパクトはあまりに大きく、その後の創作活動に「原体験」として多大な影響を与える。この時期すでに私の「音楽の核」は出来上がってしまったのである。同時にこの時期、和・洋を問わず多くの音楽に心酔する。ちなみに1977年には東京に戻っている。
幼少の頃....
196?年8月10日 午前1時5分
東京は足立区にて産声を上げる。結果的に兄弟はなし、1人っ子である。なおこの誕生のとき、太陽は獅子座に、金星は天秤座に輝き、月は蠍座から射手座へとゆっくりと移動していた。
8月10日といえば、同じ誕生日の人にかのジェスロ・タルの超変人ボーカリスト、イアン・アンダーソンがいる。(あ、頭痛が.....w)
バイオグラフィー
つっ!ついに出ましたぁ〜!!友部 豊のプロフィール・コーナー。
ホントはこんなもん出すのとってもハズカシイんだけれど、まぁ「ヒト様のプライバシーぐらい面白いものはない」ってなもんで、皆さんに楽しんでもらえればという思いで、発表に至りました。
皆さん、「単なる音楽バカの半生」を笑って読んでやって下さいまし......。